ダビデ・ソロモン時代の領地を回復させたウジヤはツァーラアトに冒された
≈紀元前771年
ウジヤ率いるユダ王国軍が、ペリシテ人の領地に攻め入り、以下の都市の城壁を破壊する。
①ガト
②ヤブネ(現在のイスラエル中央地区)
③アシュドッド(現在のイスラエル南部地区アシュケロン郡)
その後、アシュドッドとペリシテ人の領地に町を築いた。ユダ王国軍は更に以下の都市のアラビア人を襲撃して勝利し、ウジヤの名声はエジプトまで広がり、アモン人はウジヤに貢物を納める様になった。
①グルバアル(現在のヨルダンのタフィラ県ブセイラ郡)
②メウニム(現在のヨルダンのマアーン県)
一方で、エルサレムの以下の側に塔を建てて防備を強化した。
①隅の門
②谷の門
③控え壁
更には、所有していた家畜の為に、シェフェラ(現在のイスラエルのエルサレム地区・中央地区・南部地区)・平原・荒野に塔を建てて、沢山の水溜めを掘り、ネゲヴ(現在のイスラエル南部地区)にも要塞を築いた。またウジヤは、牧畜や農耕を奨励し、カルメル山等の山々に、農業に従事する人間や葡萄の栽培人を抱えていた。軍隊は分隊に組織され、以下2名によって集計されて登録され、高官の1人であるハナニヤの指揮下に置かれた。
①秘書官エイエル
②役人マアセヤ
兵士を束ねる氏族長が2,600名で、その指揮下には307,500名の兵士が居た。ウジヤは全軍に以下の装備を持たせた。
①盾
②小槍
③兜
④鎧
⑤弓
⑥投石器の石
また、エルサレムで製造したバリスタを塔の上や城壁の隅の上に設置し、軍備を増強した。最終的にウジヤは、ダビデ・ソロモン時代の領地をほぼ取り返した。
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【声変版】預言者ムハンマドの死
西暦628年3月
ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが、信徒を連れ小巡礼の為メッカのカアバ神殿へ向かった。現地で武装したクライシュ族が待ち伏せしているという報告を受けたアブドゥッラーフは、フダイビーヤ(現在のサウジアラビアのマッカ州)に留まり交渉に備えた。まず、クライシュ族からムハンマドにマディーナへの撤退を求める使者が送られ、メッカに帰還した使者はムハンマドの信徒の忠誠心の高さを報告した。次にアブドゥッラーフはヒラーシュ・イブン・ウマイヤ・アルフザーイーを派遣したが、アルフザーイーがアブドゥッラーフの伝言を伝えると、クライシュ族は激怒し、アルフザーイーの乗っていたラクダを斬殺、アルフザーイーはそのままフダイビーヤへ戻った。次にアブドゥッラーフはウマル・イブン・ハッターブを使者に選んだが、自身がクライシュ族と敵対している事を理由に辞退、結果ウスマーン・イブン・アッファーンが使者として派遣された。伝言を聞いたクライシュ族はカアバ神殿の周囲を回る儀礼である「タワーフ」を認めたが、アッファーンは妥協しなかった為監禁され、アブドゥッラーフにアッファーン殺害の知らせを届け、ムスリム達は激怒した。ムハンマドは彼らにいかなる事態が起きても自分の命令に従う様、バイア(忠誠の誓い)を行わせた。解放されたアッファーンが帰還した後、クライシュ族からスハイル・イブン・アムルが使者としてフダイビーヤに派遣され、協議を経て以下の和約が成立した。
①10年間の休戦。
②巡礼団は一旦マディーナに帰還し、翌年にムスリムの巡礼のために3日間マッカを開放する。
③保護者の同意なくマディーナに移住したマッカの住民を無条件でマッカに送還する。
④ムハンマドの元からマッカのクライシュ族の元に移った人間はそのままマッカに留め置かれる。
⑤マッカ周辺の部族、個人は自由にムハンマドと同盟を締結出来る。
マッカ側はムハンマドが「アッラーの使徒」として和議を結ぶことを認めず、「アブドゥッラーの息子ムハンマド」として署名を行わせた。クライシュ族側に有利な内容であった為ハッターブは不満を示した。一方でアブー・バクルはアブドゥッラーフの決定に従った。
結局この年はアブドゥッラーフが目的としていた小巡礼を行う事が出来ず、マディーナに帰還するが、これに関し多くのムスリムが困惑した。
<訂正>
バヌタキフ族→タキフ族
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源頼家は入浴中に睾丸を切断されて刺殺された
西暦1,203年10月12日
仁田忠常が、比企一族征伐の恩賞を受ける為、北条時政の名越殿に入る。しかし夜になっても忠常が帰宅しなかった為、忠常の弟の以下2名等が、忠常が討たれたと考え、北条義時の居た北条政子の屋敷を襲撃した。
①仁田忠正
②仁田忠時
忠正は波多野忠綱によって殺害され、忠時は自害した。その頃帰宅途中であった忠常は一連の騒動について知ると、決死の覚悟で大倉御所へと向かったが、加藤景廉によって殺害された。
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キッシンジャーが起こしたオイルショックとペトロダラー体制構築
西暦1,973年12月25日
クウェートで開かれたOAPECの石油大臣会議にて以下の声明が出される。
①西暦1,973年10月17日に採択された原油供給に関する措置は友好国には影響を及ぼさず、アラブと敵対する国や中立国との明確な差別を設ける事を重ねて強調する。
②日本に対し、三木武夫のアラブ諸国訪問や、日本のアラブ諸国に対する政策の変化及び悪化しつつある日本の経済状況に注目し、日本経済を擁護する事とし、日本がアラブの今回の態度を評価しアラブ諸国に対し公正かつ正当な立場を取る事を望み、如何なる石油の全般的削減措置の下にも置かない様日本を特別に待遇することを決定する。
③ベルギーの政治的立場を評価し、同国に対し石油供給の削減措置を行わない事とする。また、オランダ経由のベルギーへの石油輸送に関しては、横流しされる事無くベルギーに到着する保証を取り付けた上で認める事とする。
④友好国に対して、西暦1,973年9月の輸入水準を超える場合であっても、横流しされたり、非アラブ産石油に取って代わる事が無い事を条件に、必要量の石油を供給する。
⑤①〜④を実施する為、会議出席者は生産削減率を25%から15%にする為、西暦1,973年9月を基準として生産量を10%上昇させ、西暦1,974年1月に予定されていた上積削減率は適用しない。
⑥アメリカとオランダへの石油の全面的禁輸は継続する。
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【声変版】後醍醐天皇の倒幕計画
西暦1,324年10月7日
早朝、鎌倉幕府が小串範行・山本時綱に軍を率いさせ、以下3名の討伐を命じる。また、六波羅探題が多治見国長と土岐頼有に出頭命令を下した。六波羅探題の2,000騎の兵を率いた山本時綱が堀川三条の宿所を急襲、土岐頼兼と多治見は少数の手勢で奮戦したが、最終的には館の裏手を突破され、頼兼は寝所で自刃、多治見も自害した。
①土岐頼兼
②多治見国長
③第7代足助家惣領足助重範
斎藤利行の倒幕計画に関する報告により、以下4名が鎌倉幕府の討幕を計画したという嫌疑をかけられていた。また、西暦1,324年10月11日を挙兵の日と定めていた。午後、六波羅探題は関東申次西園寺実衡を通じ、日野資朝・日野俊基の勾留を朝廷に要請し、夜に両名は六波羅探題に出頭した。
①第96代天皇後醍醐天皇
②公卿日野資朝
③公家日野俊基
④土岐頼兼
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【声変版】スエズ運河とロスチャイルド
西暦1,875年11月15日
ベンジャミン・ディズレーリがスエズ運河会社の買収費用をロスチャイルド家から借金する事に決め、閣僚の委任を取り付け「翌日までに4,000,000ポンドを用立てて欲しい」とライオネル・ド・ロスチャイルドに頼み、イギリス政府を担保とする事を条件に了承される。48時間後には、スエズ運河会社の株がエジプトからイギリスに渡った。これによりイギリスはスエズ運河会社の44%の株を取得し、筆頭株主となった。
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薊の如く蹂躙されたアマツヤはラキシュで命を断たれた
≈紀元前791年
アマツヤが、相談役の意見を取り入れヨアシュ(イスラエル王国国王)に戦いを仕掛ける。ヨアシュ(イスラエル王国国王)は「レバノン山の薊がレバノン山の杉に「娘さんを息子の嫁にくれないか」と頼みました。ところが、レバノン山の野獣が通りかかり、その薊を踏み躙りました。貴方はエドム人の領地を征服した事で鼻を高くしている。悪い事は言わないから、大人しくしていなさい。下手な手出しはお止めなさい。然もないと、ユダ王国の民共々痛い目に遭いますよ」と忠告したが、アマツヤは聞き入れなかった。両軍はベト・シェメシュ(現在のイスラエルのエルサレム地区)で激突したが、ユダ王国は総崩れとなり退却し、アマツヤは捕虜となりエルサレムに連行された。アマツヤは、エルサレムの城壁を、エフライムの門から隅の門まで200mに渡って取り壊す様命じられた。さらにイスラエル王国は、神殿にあった全ての財宝と金の鉢、王宮の財宝を運び出し、オベデ・エドムを含む人質を連れてサマリヤに帰還した。
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源頼家の日常(ぶっちゃけ蹴鞠日誌)
西暦1,199年12月7日
以下の人間等が、比企能員の屋敷にて蹴鞠を行う。
①源頼家
②北条時房
③比企時員
④冨部五郎
⑤細野四郎
⑥大輔房源性
その後酒宴が開かれ、源と梶原景茂が対面する。その場には中原仲業もいた。源は「梶原景時が権威を振るって傍若無人だった為、連判状が出された」と景茂に説明した。これに対し景茂は「景時は頼朝の寵愛を受けていたから他の者より抜きん出ていただけで、頼朝が亡くなってからどうして非議を行えるだろうか、景時は連判状を見て、他者から攻められるのを恐れている」という主旨の返答をした。周囲の者達は、景茂の返事の趣きが殊勝だと、密かに話し合った。
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エプスタインのロリータ・エクスプレス(N908JE・N909JE)飛行記録2003
西暦2,003年3月20日
ジェフリー・エプスタインの所有するプライベートジェット(N909JE)が以下のフライトを行う。
出発
ローレンス G. ハンスコム・フィールド
到着
テターボロ空港
主な搭乗者
①ジェフリー・エプスタイン(780回目)
②ギレーヌ・マクスウェル(436回目)
③サラ・ケレン(133回目)
④第30代コロンビア大統領を務めたアンドレス・パストラーナ・アランゴ(1回目)
⑤ジャン・リュック・ブルネル(7回目)
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【声変版】江戸幕府によるモリソン号砲撃
西暦1,837年7月30日
太田運八郎が与力中嶋清司等を異国船見届けの為に出港させ、観音崎御備場には平井藤右衛門に出陣させる。自身は平根山御備場へ向かった。西暦1,825年4月6日に江戸幕府が発した「異国船打払令」に則り砲撃を行う為である。11時に観音崎及び平根山から洲崎砲台(現在の千葉県館山市洲崎)に向けて合砲を打ち、洲崎砲台がそれに応えた為準備が整う。モリソン号は先ず平根山砲台からの砲撃を受け、さらに追って観音崎砲台からも砲撃を受けた為、14時に三浦郡野比村(現在の神奈川県横須賀市野比)に停泊した。キング夫妻が現地の漁師等200名を後甲板後方に招きワイン・ビスケット・パンを振る舞った。さらに、さらし木綿やアメリカの貨幣を与えた。キング達は役人を待ったが来なかった。また、太田は以下の老中4名に対し、打払の実行を報告する。打払を行なった後船は野比村に停泊、浦賀奉行組を偵察に送った所、西暦1,822年に来航した船に似ており、イギリス船と予測、乗組人数は不明とした。
①松平乗寛
②水野忠邦
③太田資始
④松平信順
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後鳥羽上皇の逆鱗に触れた佐々木経高の挙兵
西暦1,195年6月29日
源頼朝が、以下の人間を伴い四天王寺を参詣する。
①先陣隋兵
❶畠山重忠
❷相馬師常
❸源為国の息子村上基国
❹新田義兼
❺能勢高行の息子能勢高重
❻平繁賢の息子平基繁
❼武藤頼平
❽小野成綱
❾加藤景廉
❿土肥惟平
⓫武石胤盛の息子武石胤重
⓬小野寺道綱
⓭梶原朝景
⓮糟屋有季
⓯宇佐美祐茂
⓰和田義盛の弟和田義長
⓱狩野宗茂
⓲佐々木経高
⓳千葉成胤の弟千葉常秀
⓴土屋義清
Ⅰ後藤基清
Ⅱ葛西清重
Ⅲ佐原義連
Ⅳ比企能員
Ⅴ下河辺行平
Ⅵ榛谷重朝
②御後(水干)
❶源頼兼
❷藤原頼房
❸大内惟義
❹足利義兼
❺山名義範
❻中原親能
❼小山朝政
❽八田知家
❾毛呂季光
❿大江広元
⓫大友能直
⓬中原季時
⓭三浦義澄
⓮梶原景時
③後陣隋兵
❶北条義時
❷結城朝光
❸開瀬義盛
❹奈胡義行
❺里見義成
❻浅利義遠
❼武田有義
❽南部光行
❾武田信光
❿村山義直
⓫北条時房
⓬小笠原長清
⓭八田知重
⓮梶原景季
⓯阿曽沼親綱
⓰和田宗実
⓱佐々木盛綱
⓲大井実春
⓳長沼宗政
⓴伊賀朝光
Ⅰ氏家公頼
Ⅱ伊東成親
Ⅲ稲毛重成
Ⅳ宇都宮信房
Ⅴ千葉胤正
Ⅵ足立遠元
④最末
❶和田義盛
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【声変版】石原慎太郎とオウム真理教
西暦2,006年
東京都文化施設予算は以下であった。
①トーキョーワンダーサイト
471,520,000円(西暦2,002年比8.44倍)
②江戸東京博物館
1,639,970,000円(西暦2,002年比0.64倍)
③東京都現代美術館
809,280,000円(西暦2,002年比0.70倍)
④東京芸術劇場
724,130,000円(西暦2,002年比0.74倍)
⑤東京都写真美術館
596,920,000円(西暦2,002年比0.80倍)
⑥東京文化会館
343,740,000円(西暦2,002年比0.58倍)
⑦東京都美術館
318,330,000円(西暦2,002年比0.63倍)
⑧東京都庭園美術館
192,860,000円(西暦2,002年比0.56倍)
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両親を失った 白拍子「微妙」は明菴栄西の禅房で出家した
西暦1,202年4月2日
源頼家が大倉御所で蹴鞠を行う。その後比企能員の館へ向かった。源は、思う所が有って比企の館から足が遠のいていたが「庭木の花が見頃なので」と以前から誘われていた為断り切れなかった。何か有ると思っていた源であったが、やはり「微妙」という名の白拍子と引き合わされた。歌も舞も堪能であったが、何か訳が有りそうで、比企が「私に直接聞け」と言うので尋ねたが、なかなか答えてくれない。何度か聞いてやっと比企が身の上話を始めた。父為成が讒言の為右獄(現在の京都府京都市中京区西ノ京西円町)に投獄され、その後奥州に追放され、その後母親も死去し、一人で生きていく為に七歳から身に付けた芸であり、今奥州へ向かう途上であった。微妙は比企の目に留まり、自分の饗応に召し出されたのだと源は考えた。奥州には使者を遣わして父親の事を調べるように命じ、微妙は鎌倉に留まる事となった。その後は夜もすがら酒を飲み、明朝、鶏の鳴く頃に源は帰宅した。
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GE社の気象兵器・人工降雨誘発と台風の進路変更
西暦1,946年7月
ヴィンセント・シェーファーが、実験用のコールドボックスが、実施しようとしている実験には暖かすぎる事に気付く。ドライアイスをコールドボックスの底に置き、息を吹き掛けながら雲を作ると、これまで見た事も無い様な青みがかった靄が突然発生し、それが何百万という微細な氷の結晶となって、ストロボの光に照らされたチャンバーの中でシェーファーの目を眩ませた。過冷却水中の熱と冷たさ、湿度の急激な変化が、何十億もの氷の核を自然に生成するという刺激効果であった。数多くの実験を繰り返し、シェーファーは直ぐに過冷却雲にドライアイスを放出する方法を開発した。その後シェーファーは、台風を、それに含まれる数千tの水を沈殿させる事により破壊する実験を行う。シェーファー達は、ドライアイスの放出が大雨を誘発し、台風の目の中の温度を下げ、台風を弱める可能性が有ると結論付けた。この実験にはアメリカ陸海軍も協力した。
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アマツヤはエドム人の偶像を崇拝し香を焚いた
≈紀元前800年
アマツヤ率いるユダ王国軍が、エドム人の領地に攻め入り、塩の谷(現在のイスラエル南部地区ベエルシェバ付近)で10,000名のエドム人を殺害する。さらにユダ王国軍は、10,000名を捕縛して崖から突き落とし、落下したエドム人達は谷底の岩に激突し死亡した。その後、ユダ王国軍はセラ(現在のヨルダンのタフィラ県)を征圧し、地名を「ヨクテエル」と改名した。その頃、アマツヤにエフライム族の領地へ強制送還されたイスラエル王国兵は、上ベト・ホロン(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ラマッラー・アル・ビーレ県)・下ベト・ホロンからサマリヤ(現在のイスラエル中央地区・テルアビブ地区、現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区トゥールカリム県・カルキーリーヤ県・サルフィート県及びラマッラー・アル・ビーレ県)へ侵攻し、3,000名を殺害して多くの戦利品を奪い取った。アマツヤはエドム人の偶像を持参して帰還し、神々として祀り、その前に頭を下げて香を焚いた。これを受けて預言者は、アマツヤに「貴方の手から自分の民を救い出せなかったような神々を何故拝むのか」と問い質した。アマツヤは「いつ私が貴方に助言を求めたか。殺されたくなければ、黙っている事だ」と返した。預言者は「これではっきりしました。ヤハウェは貴方を滅ぼすおつもりです。貴方が偶像を拝み、私の勧めを聞こうとされないからです」と言い残して去った。
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カルトロップと塹壕はムスリムに有効である
西暦637年4月
ハシム・イブン・ウトバが、ウマル・イブン・ハッターブの命により、12,000名の兵を率いジャラワ(現在のイラクのディヤーラー県)へ向けて進軍する。サディ・ブン・アビ・ワッカスがハッターブに対し、ジャラワにクテシフォンから敗走したササン朝ペルシア軍残党等が集結している事を報告した上で、ハッターブが出した結論であった。ジャラワは以下の地域に通じるルートが在り、戦略上重要な場所であった。
①現在のイラク北部
②ホラーサーン(現在のイラン・アフガニスタン・トルクメニスタン)
③現在のアゼルバイジャン
ハッターブは、ティクリートとモースルを攻める前に後方の敵を掃討しようとしていた。また、ジャラワへのササン朝ペルシア軍の戦力の集中は、ムスリムがイラク北部へ侵攻する上でのボトルネックとなっていた。ジャラワのササン朝ペルシア軍は、以下の2名が指揮していた。
①ミフラン・ラジ(指揮官)
②ファッルフザード(副官)
そしてムスリムは、ジャラワの要塞の外でササン朝ペルシア軍と遭遇した。そこはディヤーラー川と崩れた地面に囲まれていた。崩れた地面は騎兵・歩兵の移動には不向きであった。ラジは、ムスリムとの戦闘経験の有るベテラン将軍であり、ムスリムの戦い方を熟知していた。ラジは、ムスリムの進軍を遅らせる為に、塹壕を掘り、その前にカルトロップを置いた。ラジの戦略は、ムスリムに正面攻撃を仕掛け、射手や攻城兵器の大砲によってムスリムを疲弊させるというものであった。ムスリムは、ラジの仕掛けたカルトロップによって、進軍を妨げられた。ラジは、ムスリムの中核が疲弊したタイミングで攻撃する事を意図し、古典的な陣形で布陣した。ハシムも戦場に駆け付けるが、現場のディヤーラー川に囲まれた地形と崩れた地面を見て、側面からの攻撃は困難で、正面からの攻撃は多大な犠牲を払うと判断した。ハシムは、塹壕とカルトロップに守られたササン朝ペルシア軍を誘き出す為に、敢えて正面から攻撃し、退却する振りをして、ササン朝ペルシア軍が塹壕から離れたら、騎兵隊が塹壕の上の橋を占領して逃げ道を塞ぐ作戦を立てた。ムスリムの陣容は以下の通り。
①ハシム(総司令官)
②カーカ・イブン・アムル・アル・タミミ(前衛)
③シル・ビン・マリク(右翼)
④アムル・ビン・マリク・ビン・ウトバ(左翼)
⑤アムル・ビン・ムラ・アル・ジュハーニ(後衛)
後から増援として以下の人間がやって来た。
①タルハ・イブン・クワイリッド・イブン・ナウファル・アル・アサディ
②アムル・ビン・マアディ・ヤクリブ
③カイス・ブン・マクシュフ
④フジュル・ビン・アディ
ムスリムは正面攻撃を開始した。暫く交戦した後、予定通り退却する振りをして全体を後退させた。ラジは、攻撃を開始する時が近づいている事を察知し、塹壕を埋めさせた上で総攻撃を命じた。ここまでは両陣営は思惑通りに戦闘を進めた。ラジが野原でムスリムと交戦すると、ハシムはタミミ率いる騎兵連隊に、警備が手薄になっていた塹壕に架かる橋を占領させた。タミミは、ササン朝ペルシア軍の右翼を迂回して橋を占領した為、ササン朝ペルシア軍の後方に位置する事となった。これにより、ササン朝ペルシア軍はディヤーラー川とムスリムに挟まれた形となり、士気が著しく低下した。ハシムは歩兵を使って正面攻撃を開始した。タミミは戦況を見ているだけであった。ササン朝ペルシア軍は、多数の死傷者を出し大敗した。それでも数千名の兵が、このムスリム包囲網を何とか抜け出し、ジャラワの要塞に辿り着いた。ハシムは戦闘後にジャラワを包囲した。現地のササン朝ペルシアの女性・子供は戦利品として奴隷となった。ハッターブは「これから生まれてくる奴隷の女たちの子供達を恐れ、私はアッラーに帰依します」と言った。
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【声変版】ロックフェラー医学研究所によるスペイン風邪発生
西暦1,918年3月4日
フォートライリーのファンストン基地の病院にて兵士アルバート・ギッチェルがインフルエンザの症状を訴える。髄膜炎菌ワクチンの人体実験の参加者であった。後に同様の症状を訴える兵士が続出し、1,000名以上が感染、48名が死亡する。これらの兵士が第一次世界大戦中のヨーロッパの戦場へ赴き、解熱や免疫を抑制するアスピリンを処方され、多数の犠牲者を出す事となる。髄膜炎菌ワクチンが原因であったが、ロックフェラー医学研究所は強毒なH1N1亜型インフルエンザが流行したとマスメディアを使って喧伝し、スペイン風邪に話をすり替えた。
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【修正】
以下はミスです。この様な事実はありません。無かった事にして視聴頂けますと幸いです。申し訳ありません。
西暦1,918年9月26日
キャンプアプトンのアメリカ兵193名がスペイン風邪で入院する。
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八田知家が下野国で阿野全成を誅殺、比企能員征伐をアシストした北条政子
西暦1,203年10月8日
比企能員が、自身の娘若狭局を介して源頼家に北条時政征伐を訴えた。これを聞いた頼家は能員を病床に呼び寄せ、時政征伐を許可した。その話を障子の陰から立ち聞きしていた北条政子は、時政にこれを伝えた。時政は以下2名に対し「能員が謀反を企てているので、攻めてしまおうと思う」と伝えた。
①天野遠景
②仁田忠常
天野・仁田は「御前に呼び寄せ始末しましょう」と提案した。時政は大江広元に相談した。大江は「源頼朝公以来、政務を補佐する事は有ったが、兵法については返答する事は出来ない。良く考えるべきではないか」と明言を避けたが、能員征伐には反対しなかった。時政は、能員の下へ使者を遣わせ「薬師如来の開眼供養を致しますので、時政邸へお越し下さい。その序でに政治向きの話も致しましょう」と誘った。使者が帰った後、能員は親類に引き止められた。しかし能員は「仏事と政治向きの話の為に私を呼んだのであろう」と言って、武装しては却って疑いを招くとして、昼に平服で以下の人間のみを連れて時政邸へと向かった。
①郎党2名
②雑色5名
時政邸へと入った能員は、待ち構えていた天野・仁田によって左右の手を掴まれ、竹藪に引き倒され殺害された。逃げ帰った雑色が、比企一族に事の次第を伝えると、能員の館の最奥部に在る小御所の一幡の屋敷に立て籠もった。15時、北条政子は、比企一族の一幡の屋敷への立て籠もりを謀反と見做し、比企一族征伐の命を下し、以下の人間等が出陣した。
①北条義時(総大将)
②北条泰時
③平賀朝雅
④畠山重忠
⑤小山朝政
⑥長沼宗政
⑦結城朝光
⑧榛谷重朝
⑨三浦義村
⑩和田義盛
⑪和田常盛
⑫和田景長
⑬土肥維平
⑭後藤信康
⑮伊賀朝光
⑯尾藤知景
⑰工藤行光
⑱金窪行親
⑲加藤景廉
⑳加藤景廉の長男遠山景朝
㉑仁田忠常
対する比企一族側は以下の人間等が迎え撃った。
①比企余一兵衛尉
②比企三郎
③比企五郎
④比企時員
⑤中野能成
⑥笠原親景
⑦中山為重
⑧糟屋有季
⑨小笠原長経
⑩細野四郎
⑪渋河兼忠
⑫児玉党
⑬河原田次郎
比企一族側の抵抗は激しく、義時側は、加藤・尾藤・景長や郎党等が負傷し、代わって畠山が笠原の軍勢を破ると、笠原は能員の館に駆け込んで火を放った。糟屋は、義時側が惜しんで逃がそうとするが一幡の屋敷から出て来ず、8名を討ち取った後他の郎従と共に殺害された。戦場から引き上げてきた河原田・中山は一幡の前で自刃した。三郎・五郎・時員・笠原は戦死した。余一兵衛尉は女装して脱出を試みるが、加藤に討たれ梟首された。若狭局は一幡を抱いて、一幡の屋敷の小門から脱出した。夜、渋河が殺害され、比企一族側は敗北した。生き残った能員の2歳の息子は、義盛に預けられた。細野は捕縛され、後に赦免された。
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【声変版】円周率の歴史
西暦1,949年
ペンシルベニア大学のジョン・プレスパー・エッカートとジョン・モークリーによって設計された世界初の汎用電子デジタルコンピュータ「ENIAC」にて円周率に於いて2,037桁の精度を得る。
π=3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097494459230781640628620899862803482534211706798214808651328230664709384460955058223172535940812848111745028410270193852110555964462294895493038196442881097566593344612847564823378678316527120190914564856692346034861045432664821339360726024914127372458700660631558817488152092096282925409171536436789259036001133053054882046652138414695194151160943305727036575959195309218611738193261179310511854807446237996274956735188575272489122793818301194912983367336244065664308602139494639522473719070217986094370277053921717629317675238467481846766940513200056812714526356082778577134275778960917363717872146844090122495343014654958537105079227968925892354201995611212902196086403441815981362977477130996051870721134999999837297804995105973173281609631859502445945534690830264252230825334468503526193118817101000313783875288658753320838142061717766914730359825349042875546873115956286388235378759375195778185778053217122680661300192787661119590921642019893809525720106548586327886593615338182796823030195203530185296899577362259941389124972177528347913151557485724245415069595082953311686172785588907509838175463746493931925506040092770167113900984882401285836160356370766010471018194295559619894676783744944825537977472684710404753464620804668425906949129331367702898915210475216205696602405803815019351125338243003558764024749647326391419927260426992279678235478163600934172164121992458631503028618297455570674983850549458858692699569092721079750930295532116534498720275596023648066549911988183479775356636980742654252786255181841757467289097777279380008164706001614524919217321721477235014144197356854816136115735255213347574184946843852332390739414333454776241686251898356948556209921922218427255025425688767179049460165346680498862723279178608578438382796797668145410095388378636095068006422512520511739298489608412848862694560424196528502221066118630674427862203919494504712371378696095636437191728746776465757396241389086583264599581339047802759009946576407895126946839835259570982582
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三極委員会を批判したレーガン大統領は命を狙われた
【訂正】最後の2枚のスライドは西暦1,981年の間違いです。失礼致しました。
≈西暦1,972年5月
ズビグネフ・ブレジンスキーが、コロンビア大学共産主義問題研究所所長の職を辞し、平和と繁栄の国際委員会設立の為、以下の人間とグループを組織する。
①ブルッキングス研究所外交政策研究ディレクターのヘンリー・D・オーウェン
②CFR事務局長ジョージ・S・フランクリン
③外交官でCFIA(ハーバード大学国際問題研究所)をヘンリー・キッシンジャーと共に設立したロバート・R・ボウイ
④第2代軍備管理・軍縮庁長官ジェラルド・スミス
⑤カーネギー研究所顧問ジョージ・マーシャル・ホーンブロワー
⑥第38代ペンシルベニア州知事を務めたウィリアム・スクラントン
⑦ハーバード大学東アジア学教授エドウィン・ライシャワー
⑧ヨーロッパアメリカ合衆国行動委員会副会長マックス・コーンスタム
このブレジンスキーが組織したグループには、以下が資金提供を行った。
①デイヴィッド・ロックフェラー
②ケタリング財団
③フォード財団
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アタルヤの王位を奪い刺殺させたエホヤダ、宮殿修繕を急かすヨアシュ
≈紀元前835年
エホヤダが、百人隊長5名とアタルヤの側近を呼び寄せ、秘密を守ると誓約させた上でヨアシュ(ユダ王国国王)を見せた。エホヤダは「安息日には1/3の者を宮殿の護衛に当たらせ、残る2/3は神殿の警護に当たらせよ。各々武器を持って、ヨアシュ(ユダ王国国王)の回りを囲むのだ。囲みを破ろうとする者が居たら、殺さなければならない。片時もヨアシュ(ユダ王国国王)の側を離れてはならない」と指示を出し、ユダ王国全土からレビ人を集めた。百人隊長5名は指示通りに警護に当たるレビ人達を連れて来た。エホヤダは彼らにダビデの槍や盾で武装させ、既に武器を手にしていた近衛兵は、神殿の正面に立ち、ヨアシュ(ユダ王国国王)の隠れ場所に近い祭壇の周りを囲んだ。その中にエホヤダがヨアシュ(ユダ王国国王)を連れて来て、ヨアシュ(ユダ王国国王)を王とする儀式が執り行われた。ヨアシュ(ユダ王国国王)は王冠を被り、モーセの十戒の書物を受け取って油を注がれた。レビ人達は拍手喝采し「王様万歳」と叫んだ。人々の新しい王を讃える声を聞いたアタルヤは、自分が出し抜かれた事に気付き「謀反だ、反逆だ」と絶叫して、衣を裂いて逆上した。エホヤダは、百人隊長5名に「アタルヤを連れ出せ。神殿の中で殺してはいけない。アタルヤに付く者が在れば、殺して構わない」と指示した。アタルヤは捕らえられて引き摺り出された。そして、宮殿の馬屋に連行されて刺殺された。その後、エホヤダは神殿に警護を置き、百人隊長・近衛兵・レビ人達と共に、ヨアシュ(ユダ王国国王)を神殿から連れ出して、衛兵所を経由して宮殿に入り、ヨアシュ(ユダ王国国王)を王座に着座させた。これにより、ヨアシュ(ユダ王国国王)が第8代ユダ王国国王に即位した。また、バアルの祭司マタンがバアルの祭壇の前で殺害され、バアルの祭壇と像はユダ王国民によって破壊された。
<訂正>
戒め(いましめ)
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【声変版】イスラム教の始まり
西暦610年8月19日
ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフがメッカ(現在のサウジアラビアのマッカ州)にあるヒラー山の洞窟で、天使ジブリールより唯一神アッラーの啓示を受け、妻ハディージャ・ビント・フワイリドにその出来事を話す。その後フワイリドの従兄弟でキリスト教ネストリウス派修道僧ワラカ・イブン・ナウファルに相談した所、以下の預言者も同様の経験をしたが、敵対されなかった者はいない事を話す。
①アブラハム
②ノア
③モーセ
④イエス・キリスト
その後も神の啓示がアブドゥッラーフに次々に下された。そしてアブドゥッラーフは、従兄弟のアリー・イブン・アビー・ターリブや友人のアブー・バクルに啓示の教えを説き、イスラム教を始めた。
<訂正>
バヌタキフ族→タキフ族
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ライオンを殴り殺したご褒美に額に接吻をする
西暦637年3月
ササン朝ペルシア軍から寝返った義勇兵がサディ・ブン・アビ・ワッカスにティグリス川を渡る事の出来る下流の地点を示した翌朝、ワッカスは義勇兵に、馬に乗ってティグリス川を渡る様頼んだ。先ず、アシム・イブン・アムル・アル・タミミの命により、6名の志願した義勇兵が馬に乗ってティグリス川を横断した。ササン朝ペルシア軍はこれを受け、ティグリス川の水域に入り応戦した。ムスリム側はこの戦闘を優位に進め、東岸に到達した。その後も縦隊が続々と上陸し、ボートを東岸に着けた。その後もササン朝ペルシア軍の劣勢は続き、クテシフォンは陥落し、アシム・イブン・アムル・アル・タミミもクテシフォンに入った。そして、ササン朝ペルシア政府の本拠地である白宮殿は無血開城するに至った。ヤズデギルド3世は、持ち運びが可能な宝物や貴重品を全て持参しハルワン(現在のイラクのディヤーラー県)に逃亡した。ワッカスは、残ったササン朝ペルシア国民に恩赦を与えると宣言した。ササン朝ペルシア側は降伏条件を予め理解しており、ジズヤの支払いに応じ、和平協定が締結された。ムスリムは、ササン朝ペルシア国民に、通常の職業に戻る様促した。ワッカスは、白宮殿を本拠地とし、大中庭にモスクを建設した。
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【声変版】ビッグバン直後の宇宙
≈紀元前13,819,998,000年
宇宙誕生から180秒程経過すると、1,000,000,000℃まで温度が下がり、陽子と中性子が結び付き、重水素(水素2)、ヘリウム3、ヘリウム4、ヘリウム6、ヘリウム7の安定原子核や、三重水素(水素3)、ベリリウム7、ベリリウム8等の不安定原子核、放射性原子核が生まれた。
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地図に線を一本引き領地を定める源頼家
西暦1,200年7月10日
陸奥国葛岡(現在の宮城県大崎市岩出山)の新熊野神社の僧が、坊領の境相論に於いて、双方の文書を持参し、一帯の地頭である畠山重忠に結審を望む。畠山は、藤原秀衡の代では朝廷の安泰を祈祷していた神社であったが、今は鎌倉幕府の繁栄を祈祷している神社であるので、三善康信経由で、将軍源頼家の裁定を仰いだ。源は、絵図の中央に一本の線を引き「土地が広いか狭いかは運次第だ。わざわざ使いを出して現地を調査するのは面倒である。以後の境界争いは全てこの様に結審する。不服が有るならば訴訟など起こさぬ様に」という主旨の発言をした。
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