【声変版】預言者ムハンマドの死

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西暦628年3月
ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが、信徒を連れ小巡礼の為メッカのカアバ神殿へ向かった。現地で武装したクライシュ族が待ち伏せしているという報告を受けたアブドゥッラーフは、フダイビーヤ(現在のサウジアラビアのマッカ州)に留まり交渉に備えた。まず、クライシュ族からムハンマドにマディーナへの撤退を求める使者が送られ、メッカに帰還した使者はムハンマドの信徒の忠誠心の高さを報告した。次にアブドゥッラーフはヒラーシュ・イブン・ウマイヤ・アルフザーイーを派遣したが、アルフザーイーがアブドゥッラーフの伝言を伝えると、クライシュ族は激怒し、アルフザーイーの乗っていたラクダを斬殺、アルフザーイーはそのままフダイビーヤへ戻った。次にアブドゥッラーフはウマル・イブン・ハッターブを使者に選んだが、自身がクライシュ族と敵対している事を理由に辞退、結果ウスマーン・イブン・アッファーンが使者として派遣された。伝言を聞いたクライシュ族はカアバ神殿の周囲を回る儀礼である「タワーフ」を認めたが、アッファーンは妥協しなかった為監禁され、アブドゥッラーフにアッファーン殺害の知らせを届け、ムスリム達は激怒した。ムハンマドは彼らにいかなる事態が起きても自分の命令に従う様、バイア(忠誠の誓い)を行わせた。解放されたアッファーンが帰還した後、クライシュ族からスハイル・イブン・アムルが使者としてフダイビーヤに派遣され、協議を経て以下の和約が成立した。
①10年間の休戦。
②巡礼団は一旦マディーナに帰還し、翌年にムスリムの巡礼のために3日間マッカを開放する。
③保護者の同意なくマディーナに移住したマッカの住民を無条件でマッカに送還する。
④ムハンマドの元からマッカのクライシュ族の元に移った人間はそのままマッカに留め置かれる。
⑤マッカ周辺の部族、個人は自由にムハンマドと同盟を締結出来る。
マッカ側はムハンマドが「アッラーの使徒」として和議を結ぶことを認めず、「アブドゥッラーの息子ムハンマド」として署名を行わせた。クライシュ族側に有利な内容であった為ハッターブは不満を示した。一方でアブー・バクルはアブドゥッラーフの決定に従った。
結局この年はアブドゥッラーフが目的としていた小巡礼を行う事が出来ず、マディーナに帰還するが、これに関し多くのムスリムが困惑した。

<訂正>
バヌタキフ族→タキフ族

宇宙一元化 公式HP
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