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宇治川の浅瀬を教えた翁を口封じで殺害した芝田兼義

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西暦1,221年7月5日
前日の戦闘で宇治橋での戦いは不利と考えた北条泰時が、水練を得意とした芝田兼義に宇治川の渡河を命じる。雨は止み、晴れ間が広がっていた。芝田は、現地の翁に浅瀬の場所を聞き出し、口封じの為其の翁を殺害した。芝田は、裸になって刀を咥えて、宇治川の中洲の真木島(現在の京都府宇治市槇島町)まで泳ぎ、朝廷軍が居る事を確認して、浅瀬の場所を北条に知らせた。周囲の以下の諸将達は、芝田に浅瀬の場所を尋ねるが、芝田は答えなかった。
①佐々木信綱
②水練を得意とした春日貞幸
③中山重継
④安東忠家
芝田は先陣を切って、宇治川を渡り始めた。佐々木・春日・中山・安東等も負けじと追随した。急流の宇治川を渡るのは難儀であった。そんな中、芝田と春日の馬に朝廷軍の矢が命中し、馬が水中を漂い、春日は溺れた。春日は、建御名方神に祈念し、腰刀で甲冑の上帯・小具足を切り、何とか浅瀬に浮かび上がった。北条も馬で宇治川を渡ろうとした。しかし、北条の身を案じた春日が「甲冑を付けている者が溺れている様ですよ」と言い、其の隙に北条の馬を隠した。其の後北条は、民家を壊して作られた筏に乗って宇治川の渡河に成功した。此れ以降鎌倉幕府軍の猛攻が始まり、朝廷軍は敗走した。

一元化 公式HP
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