神風特攻隊 「命の使い方」~日本人として知っておきたいこと~

2 years ago
38

「イッテマイリマス ノチノニホンニ エイコウアレ」

神風特別攻撃隊の編成

大東亜戦争末期
昭和19年6月15日

ついにサイパン島が陥落
B29による日本本土の直接爆撃が可能となった
さらに日本と南方の石油をつなぐ戦略的な要所であるフィリピンの攻略に米軍が動いた

フィリピン本島

部下
「大西中将、サイパンが陥落しました!米軍が来ます!」

大西
「・・・・」
「そうか、皆を招集しろ!」

フィリピンを守る航空艦隊の戦力
零戦わずか40機
これだけの戦力でどうしようもないことは明らかと思われた

大西
「サイパンが陥落した。
ここは爆薬を250kg抱かせて体当たりするほかに確実な攻撃方法はないと思うが・・・」

隊員

「やらせてください!」

この時、全員が両手をあげてこの作戦に賛成した

当時の隊員たちの士気はそんなものであったのだ

神風特別攻撃隊の編成である

特攻隊の父と呼ばれた大西中将が特攻隊編成直後涙ながらに、隊員たちに語った言葉がある

「特攻は統率の外道である!もう戦争は続けるべきではない!」

ただアメリカを本土に迎えた場合、
歴史にみる、インディアン、ハワイ民族のように闘魂あるものは次々に各こ個撃破され、
日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうであろう。

しかし特攻により、敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができる。

そのために・・・
特攻を行ってでもフィリピンを最後の戦場にしなければならない。

しかしこれは、
九分九厘 成功の見込みなどない

では、何故見込みのないのに、
このような強行、愚行をするのか?

「ここに信じてよいことがある」

いかなる形の講和になろうとも
日本民族がまさに亡びんとする時に当たって、
身をもって防いだ若者たちがいた
という歴史に残る限り
500年後、1000年後の世に
必ずや日本民族は再興するであろう

この言葉を胸に、隊員たちは飛び立っていった。
自らもメッセージを遺して…

「イッテマイリマス ノチノニホンニ エイコウアレ」

 -------
小川清 24歳 両親への遺言

人は一度は死するもの、
悠久の大儀に生きる栄光の日は
今を残してありません。
父母上様もこの私の為に喜んで下さい。
清は微笑んで征きます。
出撃の日も、そして永遠に。
   (昭和20年5月11日戦死)

 -------

穴沢利夫 陸軍少尉23歳 婚約者への遺言

 -------

玉砕した一兵士の遺書

「もし玉砕して、そのことによって
祖国の人達が、少しでも
生を楽しむことができればと
せつに祈るにみである。

遠い祖国の若き男よ
強く逞しく、朗らかであれ
懐かしい遠い祖国の
若き乙女たちよ
清く美しく、健康であれ」

 -------
●大東亜戦争当時
永野終身元師海軍大将のことばです

「戦わざれば亡国、
戦うもまた亡国であれば、

戦わずしての亡国は身も心も
民族永遠の亡国である。

戦って死中に活を見出し
護国の精神に徹するならば

たとい戦いに勝たずとも、

護国に徹した
日本精神さえ残せば、
我らの子孫は必ずや

再起、三起するであろう。」

Loading comments...