葛城神社

2 years ago
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新潟市秋葉区のサイトより引用
http://www.city.niigata.lg.jp/smph/akiha/about/kankou/culture/motto/katsura.html

桂家の歴史と文化
越後屈指の名家である桂家は、江戸時代初期に能登国飯田(石川県珠洲市飯田)から移住してきました。新津に居を定め、しだいに家産をなし、新発田藩大庄屋に任命されました。
 その後新発田藩への貢献が認められて田家山を賜り、そこに秋葉神社を建立したため、田家山は「秋葉山」と呼ばれるようになりました。
 また江戸の儒学者亀田鵬斎(ほうさい)をはじめとする多くの文化人たちを招き、新津周辺の文化人たちと交流をもちました。
 桂家は天皇家につながる桓武平氏の血をひくため、尊王の志篤く、国学を修め、明治維新に際しては勤皇家として新時代をリードしたといわれています。

能登から越後へ
 桂家は、桓武天皇の皇子である葛原(かずらはら)親王に始まる家柄です。葛原親王の子である高棟王(たかむねおう)は平朝臣の姓を賜り、公家平氏の祖となりこの系統が桂家とつながります。ちなみに高棟王の弟である高見王の子、高望王(たかもちおう)は武家平氏の祖となりました。
 葛原親王から数えて13代目に当たる治部卿親輔の子秀行は、九条家領若山庄の鎮守として能登国飯田に春日神社を興すため、春日大社より分霊し、社家として能登へ下り、葛原(かずらはら)家の祖となりました。葛原家16代誉秀(たかひで)は神職を弟の忠秀に譲り、寛文2(1662)年に越後へ来ました。寛文11(1671)年に善道興野に居を定め、新津町の横山門左衛門の娘を妻に迎えます。そして、葛原の姓は皇室に対し不敬であるとして桂原と改姓し、新津桂家の祖となり、2代誉智(たかとも)のときに「桂原」の原の字を省き、桂と称するようになりました。

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