山名宗全の切腹未遂、赤松政則・畠山義就・大内政弘の反対で三度不成立の和睦交渉

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≈西暦1,472年6月
細川勝元が、細川勝之や家臣と共に髷を落とし、隠居の姿勢を見せ、自身の長男である細川政元に家督を継がせる意向を示す。政元の母は山名宗全の養女で山名熙貴の娘の春林寺殿であり、山名家の血を引く政元に家督を継がせる事で、和睦を進める狙いが有った。

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