赤松政則が有馬元家を殺害し、身の危険を感じた足利義視は延暦寺へ逃走し西軍へ寝返る

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西暦1,468年10月8日
足利義視が、足利義政の説得により帰洛する。しかし北条早雲は其の儘伊勢国に留まり、其の後、招聘を受けていた自身の妹北川殿の夫である今川義忠の下へ行った。其の後義視は、義政に対し、西軍との講和を望んでいた日野富子の兄日野勝光の排斥を訴えた。しかし義政は聞き入れず、細川勝元も、義視の訴えに懸念を示した。

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