勝長寿院別当、鶴岡八幡宮寺別当、東寺長者を歴任した定豪

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西暦1,225年6月8日
鎌倉幕府が、鎌倉にて疫病が発生し、死者が数千名を超える事態となった事を受け、災いを払う事を意図し祈祷を行う事を決定した為、以下の人間が評議を行う。
①定豪
②良信
③三浦義村
④二階堂行村
⑤国道
北条政子は、二階堂が「般若心経」と「仏頂尊勝陀羅尼」を其々万巻書写供養する事に就いて意見を求めた。此れに対し定豪は、1,000名の僧を集めて仁王経を読誦する事を提案した。又、定豪と良信は「嵯峨天皇の時代に疫病が発生し、五畿七道に多くの人々が亡くなりました。其の際、嵯峨天皇は自ら般若心経を書写し、空海を通じて供養を行いました」と先例を挙げて般若心経書写の功徳を説き、書写供養を行う事となった。

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