高橋是清は日露戦争の戦費調達でロスチャイルドシンジケートに取り込まれた

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西暦1,904年2月4日
御前会議が開かれ、日本はロシア帝国との交渉を打ち切り、軍事行動に移る事を決議する。会議終了後、以下3名は大蔵大臣官邸へ向かった。
①松方正義
②井上馨
③第10代大蔵大臣曾禰荒助
松方は、呼ばれて来ていた以下2名に対し、御前会議で開戦が決議された事を告げた。
①第6代日銀総裁松尾臣善
②第7代大蔵次官阪谷芳郎
続けて松方は、戦費を調達する為に日本国民に増税を課し、内国債を発行、国外に於いても、ロンドン・パリ・ニューヨークの投資家達に国債を販売し、輸入物資の購入や、金本位制を維持する為の正貨を確保しなければならないと述べ、誰を派遣すべきかと問うた。各々以下の意見を持っていた。
①井上:三井銀行専務理事早川千吉郎
②松尾・阪谷:日銀副総裁高橋是清
曾禰は高橋に難色を示したが、井上が高橋とする事に同意し、欧米に派遣する財務官は高橋に決定した。其の後阪谷は、高橋1人では不安であるとし、初代日本興業銀行総裁添田壽一にも声を掛けた。此れが高橋の耳に入り、高橋は「私に不満があるならば、添田さんに頼めば良いではないか。私は辞退させて貰う」として、ロンドン派遣を辞退した。井上は阪谷に「宴席で持ち上げるのだ。彼奴は存外単純なのだ。偉いのを揃えるから築地辺りで極秘で一席設けろ」と指示した。

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