過越祭を主催したヨシヤ、ネコ2世を通せん坊して戦死

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紀元前622年4月3日
夕方、エルサレムにて過越祭が行われる。事前にヨシヤが此の日に過越祭を行う旨を通達していた。組分けによって割り振られた祭司達によって過越の子羊が屠られ、力付けられた祭司達は再び神殿の奉仕に当たった。レビ人には「聖なる箱は、今はソロモンの神殿に置かれ、担いで彼方此方に持ち運ぶ必要は無くなった。だから、貴方方の時間を、ヤハウェとヤハウェの民に仕える為に用いなさい。ダビデとソロモンの行った組分けに従って、父祖の家毎に、神殿に捧げ物を持って来る人々の為に備え、過越の子羊を屠り、身を清め、其処に来る人々を助けなさい。全てモーセによって示されたヤハウェの命令に従いなさい」という命令が下った。ヨシヤは、民衆が捧げる過越の生贄の為に以下を寄贈した。
①子羊30,000頭
②子山羊30,000頭
③子牛3,000頭
又、神殿の管理者であるヒルキヤ・ゼカリヤ・エヒエルは、祭司が捧げる過越の生贄として、以下を寄贈した。
①羊2,600頭
②山羊2,600頭
③牛300頭
レビ人の指導者であるカナヌヤ、其の兄弟のシェマヤ・ネタヌエル、更にはハシャブヤ・エイエル・エホザバデが、レビ人が捧げる過越の生贄として、以下を寄贈した。
①羊5,000頭
②山羊5,000頭
③牛500頭
祭司が所定の場所に立ち、レビ人がヨシヤの指示通りの任務に就き、準備が完了すると、レビ人の手で過越の子羊が屠られ、其の血が祭司に渡された。祭司が血を祭壇に注ぐと、レビ人は、屠られた子羊の皮を剥ぎ、モーセの律法に記されている通り、焼き尽くす生贄として捧げる子羊の体を各部族の分に取り分けた。牛も同様に処理した。そして、定められた通りに、過越の子羊を焼き、聖別された捧げ物を、深鍋・平鍋・釜で調理し、人々に食べさせる為に急いで運んだ。其の後で、自分達と祭司の食事を用意した。祭司は、朝から晩迄、焼き尽くす生贄と脂肪を捧げるのに追われた。斯うして、ヨシヤの指示通りに全ての焼き尽くす生贄がヤハウェの祭壇で捧げられ、全儀式が其の日の内に終了した。エルサレムに来ていた民衆は過越の儀式を守り、以降7日間、酵母を使わないパンを食べる祭りが開催された。過去にソロモン・ヒゼキヤの代にも過越祭は行われたが、其れ等を凌ぐ規模であった。

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