戦象の鞍の胴回りを切断する作戦を採ったアシム

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西暦636年11月16日
未明、ササン朝ペルシア軍が、ロスタム・ファルロフザードの命により、間にある運河を塞いで道路にしていた所を通過しアティーク川西岸を越える。ファルロフザードは45,000名の歩兵を4個師団に分け、150m置きに、南西を向いて川を背にして配置した。さらに、15,000騎の騎兵も4個師団に分けられ、予備として待機した。4個師団にはそれぞれ8頭ずつ計33頭の象が居た。戦線は4kmに及んだ。指揮官は以下の通り。
①右翼:ホルムザン
②右中央:ジャリヌス
③後衛:ピルツ・ホスロー
④左翼:ミフラン・ラジ
ファルロフザードは、右中央後方の天蓋で日陰になった所に陣取り、戦場を俯瞰で眺めた。対するムスリムは、ササン朝ペルシア軍と500m離れた所で北東を向いて対峙した。戦闘直前にサディ・ブン・アビ・ワッカスは「これは貴方方の神が貴方方に約束した遺産だ。神は3年前に貴方方にそれを利用出来る様にされたが、貴方方は今日迄その恩恵を受け、人々を捕らえ、身代金を要求し、殺してきた」と兵達を激励した。また、カーカ・イブン・アムル・アル・タミミの弟アシム・イブン・アムル・アル・タミミも騎手達に「貴方方は彼らよりも優れており、神は貴方方と共におられます。もし貴方方が粘り強く正しい方法で攻撃すれば、彼らの富・女性・子供達は貴方方のものになるでしょう」と励ました。戦いは決闘から始まった。なるべく多くの指揮官を殺害して敵軍の士気を下げる狙いがあった。先ず、ムスリムの決闘者ムバリズンが進み出た。双方で多くの死者が発生した。決闘で数名の指揮官を失ったファルロフザードは、左翼に対し、ムスリムの右翼を攻撃する様指示した。ササン朝ペルシア軍は、大量の矢の雨を降らせ、戦象を突撃させて、ムスリムの右翼に甚大な被害を与えた。ムスリムの右翼総司令官アブドゥッラー・イブン・アルムタムは、右翼騎兵司令官ジャービル・イブン・アブド・アッラーに対し、ササン朝ペルシア軍の戦象に対処する様命じた。しかし、アブド・アッラーの騎兵隊は、ササン朝ペルシア軍の重騎兵隊に行手を阻まれ、戦象の前進によってムスリムの歩兵は後退し始めた。ワッカスは、右中央の騎兵隊司令官アル・アシャス・イブン・カイスに、前進するササン朝ペルシア軍を食い止める様指示した。カイスは、騎兵連隊を率いて右翼騎兵の増援として戦闘に加わり、ササン朝ペルシア軍左翼の側面に対し、反撃を開始した。一方ワッカスは、右中央の総司令官ズフラ・イブン・アルハウィヤに、歩兵連隊の右翼への派遣を命じた。これを受けてアルハウィヤは、ハンマル・イブン・マリク指揮下の歩兵連隊を派遣し、右翼の増援としてササン朝ペルシア軍への反撃を支援した。ササン朝ペルシア軍左翼は、カイスとマリクの増援を受けたムスリムの右翼歩兵による正面攻撃と、右中央からの騎兵連隊の支援を受けたムスリム騎兵による側面攻撃を受けて後退した。ファルロフザードは、右中央と右翼にムスリムの騎兵隊に向かって前進する様命じた。先ず、ムスリムの左翼と左中央に激しい矢を雨を浴びせ、続いてササン朝ペルシア軍の右翼と右中央の戦象が突撃した。これにより、ムスリムの左翼と左中央はパニックに陥った。ワッカスはタミミに戦象の征伐を指示する伝言を送った。アシムは、戦象に乗った射手を打ち破り、鞍の胴回りを切る作戦を採った。この作戦が功を奏し、ササン朝ペルシア軍が戦象を退却させると、ムスリムは反撃に転じた。ササン朝ペルシア軍の右中央が撤退し、続いて右翼全体が撤退した。午後迄に、ムスリムの左翼と左中央に対して行われていたササン朝ペルシア軍による攻撃も阻止された。機に乗じてワッカスは更なる反撃を命じ、ムスリムの騎兵隊が側面から全力で突撃した。最終的にファルロフザードはムスリムの攻撃を退ける事に成功したが、数ヶ所負傷した。夕方、双方多大な損害を受け、決着の着かない儘この日の戦闘は終了した。

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