歴戦の勇士ワリードの晩年と最期

1 year ago
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≈西暦638年12月
ムスリムが、ゲルマニアの東ローマ帝国軍守備隊の居る都市を包囲する。ヘラクレイオスからの支援が望めなかった東ローマ帝国軍守備隊は、ムスリムが提示したジズヤの条件を飲み、降伏した。ムスリムは、物質的な富に関しては望むだけ手に入れる事が出来た。ハーリド・イブン・アル・ワリードは、これまで滅多に見られなかった戦利品を積んでキンナスリーンに帰還した。ワリードはその戦利品を贅沢に分配した。分配された者の中にはハドラマウト(現在のイエメン)のキンダ族の族長アル・アシャス・イブン・カイスも含まれていた。これを受けて、ウマル・イブン・ハッターブはウバイダに対し、公開尋問と、その結果に関わらずワリードを解任し、キンナスリーンをウバイダの支配下に置く事を命じた。ウバイダはホムスで公開尋問を実施した。ワリードは、ハッターブからマディーナへ来る様呼び出しを受けたが、出発前にキンナスリーンで別れの演説を行った。

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