アル・ジャジーラ陥落、アララト平原・トロス山脈へ触手を伸ばす

1 year ago
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≈西暦638年3月
ヘラクレイオスが以下2箇所から召集したアル・ジャジーラ地方(現在のシリアのハサカ県付近)の東ローマ帝国と親しいキリスト教徒アラブ人が、アブー・ウバイダが軍事本部としていたエメサを包囲する。
①シルセシウム(現在のシリアのデリゾール県バセイラ)
②ヒット(現在のシリアのスワイダー県)
ウバイダは全軍をエメサに集結させた。一方ウマル・イブン・ハッターブはウバイダに対し、東ローマ帝国軍がエメサに戦力を集中させるのを防ぎ、敵軍の拠点であるアル・ジャジーラ地方を逆包囲する為野戦指揮官を派遣する様指示を出した。そこでイヤド・イブン・ガンム率いる軍が、ヒットを攻撃したが、ヒットは要塞化されていた。そこでガンムは、ハビブ・イブン・マスラマ・アル・フィフリに、好戦的で有名な「アムル軍団」として知られるバヌ・キラブの特定師団を率いさせ、シルセシウムに差し向けた。
この特定師団は、以下3名の指導下にあった。
①アル・ハリス・イブン・ヤズィード
②ヤズィードの息子ズファル・イブン・アル・ハリス
③アスラーム・イブン・ズーラ・アル・キラビ
さらにハッターブは、3つの異なるルートからアル・ジャジーラ地方に侵攻する計画を立て、自身も1,000名の兵を率いマディーナから出撃した。また、ハッターブの指示により、サディ・ブン・アビ・ワッカスは、カーカ・イブン・アムル率いるエメサを支援する為の分遣隊を派遣した。

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