替え玉が見破られ交渉を拒否されたウバイダ

1 year ago
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≈西暦637年4月1日
ウマル・イブン・ハッターブがパレスチナに到着する。その後ジャビヤへ向かい、以下3名等が出迎え、ハッターブに合流した。この時アムル・イブン・アル・アースは、エルサレム包囲の指揮官として従事していた。
①アブー・ウバイダ
②ハーリド・イブン・アル・ワリード
③ヤズィード・イブン・アビ・スフィアン
その後一行はエルサレムに向かい、ハッターブの署名により協定が締結された。証人は以下の4名であった。
①ワリード
②アース
③アブド・アルラフマン・イブン・アウフ
④ムアーウィヤ1世
これにより東ローマ帝国は、エルサレムをムスリムに明け渡し、ジズヤと引き換えにキリスト教徒に市民的及び宗教的自由の保証を与えられた。その後ソフロニウスは、ズフルの礼拝の際、ハッターブを再建された聖墳墓教会(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)に招待した。しかしハッターブは、キリスト教の礼拝の場としての教会の立場が危険に晒され、ムスリムが協定を破り教会をモスクに変える事を危惧し、辞退した。ソフロニウスはハッターブを、神殿の丘(現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区エルサレム県)にも案内しており、その際ハッターブは、かつて寺院のあった場所の劣悪な状態を見て、その場所に木造のモスクを建てる前に、塵や瓦礫を取り除くよう命じた。

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