ダマスカスで手を繋いでクライミング

1 year ago
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≈西暦634年9月14日
シュラビル・イブン・ハサナ率いる軍に包囲されていたトーマスが、凡ゆる所から兵を召集し、5,000名の兵を率い、ムスリムに矢の雨を降らせ、先制攻撃を仕掛ける。東ローマ帝国軍は、城壁の射手の援護を受けて門を突破し、扇形の陣形を敷いた。しかし、襲撃を主導していたトーマスが、右目に矢を受けた。東ローマ帝国軍は、ムスリムの戦線を突破する事が出来ず、後退した。負傷したトーマスは、代わりに千の目を奪うと誓った。夜、トーマスは再度出撃命令を下した。トーマスは以下の4つの門から同時出撃し、駐留している疲労の溜まったムスリムを叩く作戦を立てた。
①トーマスの門(主導)
②ジャビヤ門
③小さな門
④東門
ジャビヤ門・小さな門・東門は、ムスリムを拘束して、トーマスの門にいるハサナを支援出来ない様にする役割を担った。東ローマ帝国軍が、東門に多くの兵を集めた為、ハーリド・イブン・アル・ワリードはハサナを支援する事が出来なかった。トーマスは、突破した門に兵を集める戦術を採った。トーマスはワリードを生け捕りにする様命じた。ジャビヤ門では、アブー・ウバイダ率いる軍が、東ローマ帝国軍を撃退した。小さな門では、先頭が激化した。ヤズィード・イブン・アビ・スフィアン率いる軍の兵力は小さかったが、ディラール・ビン・アル・アズワル率いる機動警備隊の騎兵2,000名が援護し、東ローマ帝国軍を退けた。東門では、東ローマ帝国軍が大きな戦力を割いていた。ラファイ・ビン・ウマイル率いる軍は東ローマ帝国軍の攻勢に耐える事が出来なかった。その頃、ワリードは予備の古参騎兵400名を率いてウマイルに加勢し、東ローマ帝国軍を側面から攻撃した。トーマスの門では、トーマスが自ら指揮し、激しい戦闘を行ったが、ムスリムの前線に弱体化が見られない為、これ以上攻撃を続けても自軍の死傷者を増やすだけであると考え、撤退命令を下した。東ローマ帝国軍は一定のペースで後退したが、その間にムスリムの集中的な矢の雨を浴びたが、逃走に成功した。

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