鎖帷子を脱いだ半裸の戦士

1 year ago
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西暦634年6月
ハーリド・イブン・アル・ワリードがシュラビルの部隊を援護した翌日、東ローマ帝国軍は、ムスリムの戦力は自軍と同程度であると把握し、長旅の疲れが癒える前に打ち負かすべく再攻撃を決意した。両軍はボスラ郊外の平原で戦闘準備を行なった。ワリードは、中央に自身の直轄部隊を置き、両翼の司令官に以下2名を任命した。
①ラファイ・ビン・ウマイル(左翼)
②ディラール・ビン・アル・アズワル(右翼)
ワリードは、直轄部隊の正面、アブー・バクルの息子アブド・アル・ラーハマーン・イブン・アブー・バクルの下に薄いスクリーンを置いた。戦闘が開始されると直ぐにラーハマーンは東ローマ帝国軍を撃破した。東ローマ帝国の将軍達は安全な遊軍部隊の下へ逃走する中、ワリードは前線全体に沿って攻撃を開始した。東ローマ帝国軍はムスリムの攻撃に忽ち混乱した。この日は暑かった為、アズワルは鎖帷子を脱ぎ、続いてシャツを脱いだ。この半裸の状態で攻撃を開始し、一騎討ちで立ち向かって来る東ローマ帝国兵を全て破った。東ローマ帝国軍は砦に撤退した。この時ワリードは、何にも跨らず自身だけで戦っていた。ワリードは東ローマ帝国軍を包囲する命令を下そうと振り返った時、アブー・ウバイダが、ムスリムの隊列から抜けて近付いて来るのが見えた。ウバイダは、西暦628年2月のカイバルの戦いでムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが使用していた黄色の旗を携えていた。ウバイダはその旗をワリードに渡した。アズワルの活躍は一週間以内にシリア中に知れ渡った。

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