孫堅と袁術のタッグ、曹操は徐栄に大敗し酸棗に引き返す

1 year ago
3

≈西暦190年2月
献帝の即位後に丞相、後に太師に就任し、後漢政府の全権を掌握していた董卓の専横に反発した兗州刺史で東郡太守であった橋瑁が、太師・太傅・太保の三公回付の公文書を偽造し、打倒董卓の挙兵を呼び掛ける檄文を偽造する。また、臧洪が主君の広陵太守張超に「明府は先祖代々国恩を受けており、あなたたち兄弟はいずれも一方の大郡を掌握している。現在、王室はこの災難を経て乱臣賊子は処罰されていない。これはまさに天下義烈の士が報恩に尽くす時である。現在広陵郡は比較的安定しており、郡内は非常に裕福である。動員すれば少なくとも2万名を集める事が出来、これによって国賊を殺し、天下人に手本を示すことができ、それは最大の節義である」と進言した事で、張超は臧と共に陳留太守張邈に会いに行き、出兵について相談した。張邈は同意し、同盟を結んだ。これに呼応し、以下の州郡牧守も蜂起する。
①渤海太守袁紹(盟主)
②後将軍袁術
③冀州牧韓馥
④豫州刺史孔伷
⑤兗州刺史劉岱
⑥河内太守王匡
⑦東郡太守橋瑁
⑧山陽太守袁遺
⑨済北国相鮑信
⑩陳国相許瑒
⑪潁川太守李旻
⑫西河太守崔鈞
董の軍隊は洛陽の富を略奪し、女性を強姦する等凡ゆる犯罪を犯し、その後洛陽を焼き尽くしていた。牧守の領土は北東と南東に多かった為「関東連軍」と呼ばれた。同軍は、北・東・西の三方面から洛陽を包囲した。

宇宙一元化 公式HP
https://uc-4.com/

Loading comments...