南匈奴人、於夫羅の父羌渠の援兵派遣に反発

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西暦188年
劉焉・侍中董扶が荊州(現在の中国湖北省)の東の州境で道が塞がり立ち往生した為、荆州の国境付近に駐屯する。その頃、以下2名等が綿竹県で「黄巾党」を名乗り挙兵した。
①馬相
②趙祗
金品で益州(現在の中国四川省)刺史のポストを買った郤倹による重税に苦しんでいた民衆に加勢を促し、数千名の同意を得た。その後綿竹令李昇を殺害した。そしてさらに多くの吏民が加勢し、馬は自らを天子と称し、10,000名余の兵を率い、趙祗と共に郤の殺害と雒城(現在の中国四川省広漢市)の落城に成功した。また、巴郡(現在の中国重慶市・四川省)を征圧し、巴郡太守趙部を殺害した。さらに以下の占領にも成功したが、賈龍に殺害された。
①益州
②犍為(現在の中国四川省楽山市)
その後賈は劉を迎え入れ、綿竹県に駐屯した。劉は賈を校尉に任命した。

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