切通しを突破された鎌倉幕府、集団自決により滅亡

2 years ago

西暦1,333年6月30日
北条守時が、悪化した鎌倉幕府内での自身の立場を回復する為、先鋒隊として巨福呂坂(現在の神奈川県鎌倉市雪ノ下・山ノ内)から洲崎へ向かい、以下2名を迎え撃つ。洲崎に到着した時点で北条は戦闘により大部分の兵を失っていた。洲崎ではこの日だけで65回の戦闘が発生した。
①堀口貞満
②大島守之
兵力の差から敗色濃厚となった北条は、洲崎にて南条高直を呼び寄せ「妹が足利尊氏の妻であるから私以下北条家一族は私を疑っている。これは一家の恥であるから自害する」と言い自刃した。これを見届けた南条は「巨福呂坂に戻り援軍を頼むべきである」という主旨の進言を退け、家臣に「大将が既にご自害された上は、士卒は誰の為に命を惜しもうか。ではお供仕ろう」と言って千代塚にて直ちに切腹し、その後90名余りが続いた。その後新田義貞軍が巨福呂坂に傾れ込むが、長崎高重等の奮戦により、新田軍は巨福呂坂・亀谷坂の突破は出来なかった。

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