ササン朝ペルシア版動かざる事山の如し

1 year ago
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≈西暦633年8月25日
ハーリド・イブン・アル・ワリードがドゥマット・アル・ジャンダルに到着し、イヤド・イブン・ガンムと合流する。しかしワリードの軍の行動はドゥマット・アル・ジャンダルを守備していたアラブ反乱軍に何日も前から把握されていた。ガンムの軍だけなら打ち払う事が出来るがワリードの軍が加われば持ち堪えられないと考え、近隣の部族に急使を送り援軍を要請した。結果、ガッサーン族・カルブ族等の幾つかの部族が駆け付け、砦の守備に付いた。ワリードはガンムを指揮下に置き、砦の周囲を押さえアラビア・イラク・ヨルダンへと繋がるルートを遮断してアラブ反乱軍を包囲し、敵が攻撃を仕掛けて来るのを待った。先制すれば多大な犠牲を払うと考えた為である。アラブ反乱軍の指揮官ジュディはムスリムが攻撃して来るのを待っていたが、動いて来なかった為、ワリードとガンムの陣を攻撃する為二手に分かれ、先制攻撃を仕掛けた。しかしワリードとガンムの軍にそれぞれ圧倒され、ジュディは仲間数百名と共に捕らえられ、ワリードがムスリム達に見える様砦の近くまで連行し、部下にジュディとその仲間の首を刎ねさせた。結果、アラブ反乱軍の大半が殺害され、多くの若者・女性・子供が捕虜となった。

<訂正>
バヌカルブ族→カルブ族

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