食糧を持ち逃げされた白馬の王子様・公孫瓚

1 year ago
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西暦188年
公孫瓚が張純を追撃し、石門(現在の中国遼寧省丹東市東港市前陽鎮)にて張・丘力居と戦闘となる。結果、公孫が再度張を撃破し、張は妻を残し鮮卑族の領地内へ敗走した。公孫はさらに追撃したが遼西郡の管子城にて丘に200日以上包囲された。やがて公孫側は食糧が尽き多数の兵を失った。また、丘側も疲弊し柳城(現在の中国遼寧省朝陽市)に兵を引いた。その後公孫の勇敢さを恐れた烏桓族は再び公孫を攻める事は無かった。この戦功により公孫は中郎将・都亭侯となった。公孫は屡々白馬に跨り、乗馬や射撃に長けた数十名の部下に脇を固めさせ「白馬義従」と名乗った。

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